グッデイ、こちらはレモです!今回は内容の殆どを予想や考察でお送りします。関係者の証言でその関連が裏付けされる物もありますが、少なくともパーク公式設定では無いのでご注意を。ただ、その分読み応えがあるはず、ぜひ最後までご覧下さい!
コロンビア号のモデル
タイタニック号
コロンビア号のモデルは、時代設定や背景から見てもタイタニックであると考えて良いと思います。しかし、それは飽くまでもストーリーの話であって、こと外観に関して言えば形状も煙突の数も違います。もちろん多少似てはいますが、この頃の豪華客船の中で特別似ているという事はありません。
結論として、見た目のモデルは、現在もカリフォルニア州のロングビーチに停泊する「クイーンメリー号」であると言われています。元々「ディズニーシー」自体がこのロングビーチに作られる計画があり、クイーンメリーもまた周辺施設としての利用が考えられていました。 パークの構造や内容は大幅に変更されましたが、コンセプトや多くのアイデアが今日の「東京ディズニーシー」に引き継がれています。
タイタニックとの共通点
設定には多くの共通点があります。まず、コロンビア号の処女航海はタイタニックと同じ1912年です。コロンビア号には、フーサトニック号とモノンガヒラ号という姉妹船が2隻ありますが、タイタニックにも、オリンピック号とブリタニック号という2隻の姉妹船が存在します。
エンジンの構成や速度など、細かく上げればきりが無いので、今回は他のサイトではあまり触れられていないと感じた部分を深堀りしたいと思います。
54から3へ
アメリカンウォーターフロントには、番号が振られた埠頭(ピア)が、29〜33までありますが、コロンビア号が停泊する場所だけ、なぜか飛んで54番埠頭になっています。これにはタイタニックの悲しい歴史、そしてそれはコロンビア号の未来を示していると筆者は考えています。
タイタニックはイギリス・サウサンプトンからニューヨークに向かう航海の最中、氷山に衝突し沈没しました。救命ボートへと逃れた生存者たちは、その後カルパチア号という船に救助され、ニューヨークへと辿り着きます。その埠頭こそが「54番」なのです。
コロンビア号の物語は、タイタニックの終わりの地から、始まりへと向かって進んで行きます。この事は左舷側の建物に書かれた「3番埠頭」の文字からも推測出来ます。タイタニックの出発地はサウサンプトンですが、さらに遡るとアイルランド・ベルファストの造船所の「3番造船台(slipway)」であると言えます。また、造船所から出発地までの同行と、出港を補助したタグボートの名前は「ヘラクレス」でした。
左舷側の3番埠頭は、右舷側のニューヨークからは見えない様に設計されています。これはリヴァプールに到着した事を表していたのも知れません。イマジニア達は物語を楽しむための「カギ」を、こんなにも目立つところに用意してくれていた様です。
ベアトリス・ローズ
S.S.コロンビア号のオーナー「コーネリウス・エンディコット三世」、その娘でニューヨーク市保存協会の会長「ベアトリス・ローズ・エンディコット」。彼女のミドルネームのローズは他でもない、タイタニックの主人公「ローズ」から取られたものでしょう。
また、タイタニックのローズにもモデルがおり、それが芸術家の「ベアトリス・ウッド」です。裕福な生まれでありながら、その環境からの脱却を望む姿勢は、ローズの人物像に大きな影響を与えました。
タイタニックのローズ、そしてそのモデルのベアトリス。「ベアトリス・ローズ・エンディコット」の名前はもちろん、家柄や芸術の才能などの彼女のキャラクターは、そんな二人から着想を得たのでは無いでしょうか。
以上、今回はここまで。
最後までご覧頂き、ありがとう御座いました!
参考にしたサイト
https://www.olc.co.jp/ja/company/history/history05.html
https://www.titanicbelfast.com/history-of-titanic/on-this-day/3rd-february-1912/
https://www.theyard.info/ships/ships.asp?entryid=199
https://www.titanicbelfast.com/history-of-titanic/on-this-day/31st-may-1911/