ケープコッドの歴史と由来

ケープコッドの歴史

History of the Town
ピーコッド

Two British ships reached land within moments of each other in the year 1680. The first was commanded by Captain Elias Winthrop, who immediately proclaimed this settlement the town of Winthrop. The second ship, under the command of Captain Joshua Bedford, declared this new territory Bedford Grove.

1680年のある日、二隻のイギリス船がほぼ同時に岬に上陸しました。一隻目はイライアス・ウィンスロップ船長が率いる船で、直ぐにこの地を「ウィンスロップの町」と名付けました。もう一方の船は、ジョシュア・ベッドフォード船長の指揮の下、この新しい領土を「ベッドフォード・グローブ」と宣言しました。

グローブとは小さな森という意味です。この地名が付いている場所は、もとは木々が生い茂っていたか、自然が豊かであった事が分かります。

When neither could prevail upon the other to relinquish the land or its name, it was decided that a new name, acceptable to both, must be chosen. Many names were put forth but, for one reason or another, soundly rejected.

両者とも土地や名前を諦めるよう説得する事が出来なかった為、両者が納得する新しい名前を選ぶことにしました。多くの名前が提案されましたが、理由を付けて全て却下されました。するとある時、群衆の中の一人の女性が、水中の魚がタラであると気付き、こう言いました。

ピーコッド

Finally, an exasperated woman in the crowd, who noticed the predominance of eodfish in the water, shouted out, “Please, sirs, we are all very hungry. Why not call this place Cape Codde Village and be done with it ?” And so they did, and so it was and so it remains. Over the years, Cape Codde Village has endured harsh winters, heavy storms, and devastating fires, but our townspeople are nothing if not resilient.

「船長さん方。もういい加減、私達もお腹が空いてきましたわ、ここはケープコッド村(タラの岬)と呼んで、終わりにしましょうよ」そして、彼らはそれに納得し、今に至ります。長い間、ケープコッドは厳しい冬、激しい嵐、壊滅的な火災に耐えてきましたが、私たち町民は今も逞しく生きています。

ピーコッド

We are proud of our “Yankee know-how” and our “Never say die” attitude. We pride ourselves on remaining a small township, and we are deservedly famous for our fishing traditions, our annual Fourth of July Cape Codde Cookoff, our stoic merchants and our unique handicrafts.

私たちは、「Yankee know-how(北部の生き方)」と「Never say die(悲観はするな)」の姿勢を大切にしています。私達は小さな町と伝統的な漁業文化に誇りを持っており、毎年7月4日に行われるケープコッド・クックオフや、献身的な商人をはじめ、ユニークな手芸作品などは、村の内外で評価され、有名であることは言うまでもありません。

Though we benefit greatly from the visitors who come here, it is important to us that we preserve our way of life. Which is why we are fond of saying, “Come again when you can’t stay so long.”

私たちは、村を訪れる人々に支えられていますが、自分たちの生活様式を守っていく事が重要です。ですから私たちは、「忙しくなったらおいで」というのが口癖なのです。

Rebecca Peabody. Second Day of April, Eighteen hundred and Ninety Nine
レベッカ・ピーボディ 1899年 4月2日

登場人物の由来

ここから先は、BGSとはあまり関係ない話になって来るので、もしパークのBGSに興味がある方は次の記事に飛んで頂けると良いかなと思います。

二人の船長

Two Captains

ケープコッドを発見した一人目の船長は「イライアス・ウィンスロップ」です。ウォルトディズニーのフルネームである「ウォルター・イライアス・ディズニー」と、初代マサチューセッツ湾直轄植民地総督「ジョン・ウィンスロップ」の名前を掛け合わせて作られた、架空の人物です。

二人目の船長は「ジョシュア・ベッドフォード」。ジョシュアの由来はアメリカ合衆国唯一の皇帝(自称)、ジョシュア・ノートンではないかと思います。ベッドフォードは話すと長くなるのですが、捕鯨の街、旧ベッドフォード村から来ているものと思われます。

レベッカ・ピーボディ

Rebecca Peabody

まずピーボディですが、実際のケープコッドがあるマサチューセッツ州にも、地名として存在しています。日本でも、エリアによって多い名字というのが有るように、この辺りには、ピーボディさんが沢山住んでいました。その中でもモデルの可能性が高いなと思うのが、「エリザベス・パルマー・ピーボディ」です。

エリザベスは作家として成功した他、幼稚園を作りました。彼女が20代になると、ボストンにある下宿所に住むことになるのですが、ここの所有者だったのが「レベッカ・クラーク」という女性です。レベッカさん登場!と行きたいところですが、これは偶然かなと思っています。ですのでもう一人、由来と思われる人物を紹介します。

レベッカ・ナース

Rebecca Towne Nurse

皆さんは、マサチューセッツの歴史「セイラム魔女裁判」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。多くの女性と一部の男性が魔女(魔術師)として、無実の罪で処刑されました。その中でも有名なのが「レベッカ・ナース」です。魔女として裁判にかけられ、後に姉も魔女して処刑されてしまいました。そこまで経歴が残っているという訳では無いのですが、魔女裁判を題材にした作品等では、よく登場する人物です。

ピーコッド

また、ペグおばさんの店にある郵便受けには「レベッカ・ナース婦人」と書かれた、私書箱も用意されています。パークのケープコッドでは、住民として静かに暮しているのかも知れません。そして下の画像は、レベッカ・ナースが生前に暮らしていた家なのですが、最初にこれを見たとき、実は「ケープコッド」は私が思っている以上に、怖いエリアなのではないかと思いました。

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