ホテルハイタワー開業祝賀会

ホテルハイタワーの開業

タワーオブテラーの新聞

ニューヨーク市NY区 / 1892年1月25日(月)
天気予報:雨か雪
ビジネスより、雪とみぞれの心配を。
しかし暦によれば、春はすぐそこ。天気がどうであれ、世界は我々の成功を望んでいる。
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盛大な祝賀会が開かれる

ホテルハイタワーの新聞

ハイタワーの傑作が遂に開業
1892年1月24日、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンにそびえ立つ、栄光の「ホテル・ハイタワー」が、3年の建設期間を経て遂に一般公開された。パークプレイスの竜」と呼ばれたハリソン・ハイタワー3世は、このホテルを彼の全てを体現するものとして構想したと伝えられている。彼の美、力、優雅、そして卓越さだ。このホテルとその主は、まさに5番街のパレードの主役である。

グランドオープンの祝典は、5番街を練り歩くパレードで始まった。音楽と世界各国の衣装をまとった人々が登場するエキゾチックなイベントだった。パレードは、巨大な地球儀を描いた印象的な山車で始まった。地球儀の柄にはハイタワーの紋章が入ったきらびやかな剣が突き刺さっていた。時折、地球儀が開き、中に輝く真珠を、白いガウンを着た美しい女性が手にしているのが見えた。その直ぐ後ろには、インド植民地時代のマーチングバンドが続いた。そのあと、中国のドラゴンが花火の爆発音に合わせて通りを蛇行した。

続いて、アラビアのベリーダンサーが、アラビア馬に引かれたスタンドの上の小さなオーケストラを従えて登場した。続いて、アラパホ・インディアンのゴースト・ダンサーとドラマーが続いた。続いて、インドネシアのアクロバットダンサーが謡を歌いながら登場した。ニュージーランドからはマオリの戦士たち、日本からは優雅な衣装をまとった芸者たち。このパレードに参加するだけの為に、世界の果てから集められたと言われる人々は、実に奇妙なものだった。パレードの最後には、ハイタワーが登場した。彼の前には、凍えるような空気に震えながら、アフリカの伝統的な衣装に身を包んだ大勢の男達がいた。

5番街のパレード

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彼らはドラムを激しく叩き、とても愉快なダンスを踊っていた。彼らの多くは、マンハッタンの素晴らしい光景と音に圧倒されたのか、怯えてる様に見えた。この村人達の後ろには、白いユニフォームにピスヘルメットをかぶり、背の高い羽根を風になびかせながら、巨大なアフリカ象の上に堂々と乗ったハイタワーが続いた。ハイタワーの象の周りには、ジャングルコートに身を包み、ライフルとハイタワーのダブルHの紋章が入った旗を持った、屈強そうな男たちの儀仗兵がいた。ハイタワーが象の上に乗り、太陽の下で輝く白い髭を蓄えたその輝かしい姿に、失神した女性も少なくなかったと伝えられている。

ホテルの周りには、異なる自治区から集まった4つのブラスバンドが、彼が到着すると一斉に「ハイタワー・マーチ」を演奏した。その音は耳を劈くほどだった。ニューヨーク市警は、ハイタワーの到着を待つ群衆を抑えるのに大変な苦労をした。ハイタワーは演壇に上がり、歓声にかき消されそうになりながらスピーチをした。「ニューヨークの皆さん、私はこの壮大な建物を自らの手で作り上げました。」ハイタワーはカトラス(舶刀)で敷居のリボンを切り、中に入った。

招待客は、通りが綺麗になると直ぐに自家用馬車で到着し始めた。チャップリン市長や市議会など、この街の社交界のエリート達である。ベンジャミン・ハリソン大統領も駆け付けたが、彼は部屋に直行して一晩中眠ったと伝えられている。ニューヨークで2番目に裕福なコーネリアス・エンディコット3世は招待されなかったと伝えられているが、それ以外はニューヨークの有名人の顔を全て見ることができた。招待客のリストはあまりに長く、ホテルは満杯になった。スタッフは、ハイタワーが要求する効率性と礼儀正しさで全員にサービスを提供するという途方もない仕事に直面した。

夜には、ジョエル・N・シセロと彼の世界的に有名なオーケストラによる音楽と共に、アトランティス・ボールルームで盛大な舞踏会が催された。社交界の一流の女性たちが最新のファッションを誇らしげに披露し、エレガントに着飾った夫たちとハイタワー・ワルツを踊った。午後11時を過ぎると、女性達は就寝し、男性たちは特別な深夜イベントを開催した。

記者の立ち入りは許可されなかったが、親密で落ち着いたイベントだったと聞いている。ハリソン・ハイタワーはホテル建設に関するユーモラスな逸話を語り、ホテル内の様々な美術品の入手にまつわるエピソードを披露したという。今朝、ニューヨークの一部の新聞は、踊り子や酔っぱらいの大騒ぎというスキャンダラスな噂を報じている。ハイタワーのスタッフは、このイベントが淫らな乱痴気騒ぎに発展したという疑惑を強く否定している。私たちは、この噂はハイタワーのビジネス上のライバル(主にコーネリアス・エンディコット3世)が、ホテルの評判を落とすためにでっち上げた誇張と嘘だと考えている。ホテル・ハイタワーは間違いなくアメリカ一、いや世界一のホテルである。もし訪れる予定があるのなら、今後2ヶ月間部屋が埋まっていることを知っておくべきだろう。

その後に起きた小さな暴動は、計画性の無さも一因のようだ。招待客が入り口で招待状を提示し始めた時に、群衆に紛れ込んでいたチンピラや乱暴者たちが、祝賀会に入り込もうと躍起になった。乱闘が起こり、通りにいた群衆が乱暴者たちを追いかけ、数分もしないうちに群衆はドアを突き破り、ロビーを埋め尽くした。彼らはエレガントな内装に見とれ、貴重なランプを倒し、メインエレベーターに押し入ろうとした。ハリソン・ハイタワーとニューヨーク警察は最終的に群衆をホテルから追い出したが、通りは封鎖され、招待客の馬車は通り抜けることが出来なかった。1時間程して、遂に警察は小さな暴動を鎮圧した。混乱の中で、パレードの行進者の何人かは置き去りにされ、エキゾチックな衣装に身を包んだまま、一日中寒い公園を彷徨うグループも見られた。

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