ヴェルヌを支えた天才・ジュールエッツェル

今回の記事は「夢の通り道」の放送を参考に執筆しております。元々は夢の通り道の内容を最終回まで追うという企画でしたが、冷静に見て700以上の回を全て記事にするのは厳しいということで、記事タイトルや内容を一部変更させて頂きました。22/3/15

ジュール・ヴェルヌ

JULES VERNE

今回のテーマは前回に引き続き『センターオブジアース』『海底2万マイル』の作者、ジュール・ヴェルヌの作家人生についてです。フランス北部の町、アミアン。ノートルダム大聖堂(アミアン大聖堂)など王朝の面影の残るこの街で、ジュール・ヴェルヌは晩年を過ごしました。住んでいた家は現在、資料館兼博物館になっています。また彼の故郷、ナントにも同じような記念館があります。

『十五少年漂流記』を始めとし、20を超える作品の数々はどれも、今なお愛されているものばかりです。実は、ジュール・ヴェルヌの成功の陰には、プロデューサーのような存在がいました。

ジュール・エッツェル

JULES HETZEL

彼の名前はピエール=ジュール・エッツェル、ヴェルヌの編集者をしていました。
彼は、同じ本を、イラストや表紙を変えて何種類も作りました。それをクリスマスの前に売り出すのです。「子供のプレゼントにぴったり」と。本はたちまち大人気となりました。この頃はまだヴェルヌの書く内容は子供向けであると考えられていました。

それも当然です。海水を使った電池で動く巨大な潜水艦や、人が乗った弾丸を大砲で打ち上げて月に行くなんて、馬鹿げていると言われても仕方ありませんでした。しかしこの百年の歴史の流れの中で、その評価はだんだんと変わっていきました。尊敬の意を込めて彼を「預言者」と呼ぶ者すらいます。

このように、ヴェルヌの成功を支えたエッツェルですが、彼の凄さはこれだけではありません。ヴェルヌの編集者になる以前から、彼はヴィクトル・ユゴーの編集者もしていました。ユゴーの作品と言えば『レ・ミゼラブル』『ノートルダムの鐘』などがあります。フランスだけでなく、世界の文学史を支えた彼は、隠れた偉人です。

作品の内容を知っている方ならわかると思いますが、ヴェルヌもユゴーもアナーキーな思想が詰まった作品が多い様な気がします。エッツェルはそういうのが好きだったのでしょう。結果的に彼とエッツェルは国を追われ、ベルギーに亡命する事となりました。

一方ヴェルヌはアミアン市会議員に当選し、死ぬまで市議勤めました。その間、精神病を患わった甥のガストン・ヴェルヌに足を撃たれ、障害が残る形となりました。最期は糖尿病の悪化と白内障を患い、自宅で亡くなったとされています。

あとがき

THANK YOU

最後までお読み頂き、ありがとう御座いました。余談ですがにユゴーのスペルはHUGOです、ヒューゴーといえばパークファンなら「ファッショナブルイースター」のアーティスト、ヒューゴーヴェルジュールを思い浮かべるかと思います。もちろん一般的なフランスの人名ですが、筆者は彼が由来なんじゃないかと勝手に思います。それではまた、次の記事でお会いしましょう!

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