ジュールヴェルヌの冒険と想像の人生

ジュール・ヴェルヌ

JULES VERNE

今回のテーマは、ジュール・ヴェルヌです。ご存知の方も多いかと思いますが、彼は『ミステリアスアイランド』『センターオブジアース』『海底2万マイル』の作者です。その他、センターオブジアースのキューラインには『征服者ロビュール』に登場するアルバトロス号が、ネモ船長の発明品として登場しています。

SFの父とも呼ばれるジュール・ヴェルヌは、フランスのナント、ロワール川の中州の島、フェイドに生まれました。この人里離れた田舎が彼の想像力を育みました。5人兄弟の長男として、弁護士の父親の元に生まれ。将来は父の仕事を継ぐため、法律の勉強をしていました。

ヴェルヌが11歳のとき、初恋の相手である従姉のカロリーヌにサンゴの首飾りを買ってあげようと、密かに水夫見習いとしてインド行きの帆船に乗船しまたが、すぐに父親に見つかり叱られてしまいました。この出来事は彼の外の世界に対する好奇心と憧れを象徴する逸話です。

その後、彼はパリの法律学校へと進学します。これは、彼の才能を留めておきたくないと考えた母の意向でもありました。首都であるパリには、国中から芸術家や音楽家が集まり、そこで彼は演劇と出会い、劇作家を志すようになりました。最初こそ泣かず飛ばずでしたが、数え切れないほどの作品を書き続けた結果、SFの父と呼ばれる偉大な作家と成ったのです。

晩年のヴェルヌは、フランス北部の町「アミアン」、大聖堂など王朝の面影の残る街で過ごしました。住んでいた家は現在、資料館兼博物館になっています。彼の故郷、ナントにも同じような記念館があります。『十五少年漂流記』を始めとし、20を超える作品の数々はどれも、今なお愛されているものばかりです。そんなジュール・ヴェルヌの成功の陰には、プロデューサーのような存在がいました。

ジュール・エッツェル

JULES HETZEL
ジュール・エッツェル

彼の名前はピエール=ジュール・エッツェル、ヴェルヌの編集者をしていました。彼は、同じ本を、イラストや表紙を変えて何種類も作りました。それをクリスマスの前に売り出すのです。「子供のプレゼントにぴったり」と。本はたちまち大人気となりました。この頃はまだヴェルヌの書く内容は子供向けであると考えられていました。

それも当然です。海水を使った電池で動く巨大な潜水艦や、人が乗った弾丸を大砲で打ち上げて月に行くなんて、馬鹿げていると言われても仕方ありませんでした。しかしこの百年の歴史の流れの中で、その評価はだんだんと変わっていきました。尊敬の意を込めて彼を「預言者」と呼ぶ者すらいます。

このように、ヴェルヌの成功を支えたエッツェルですが、彼の凄さはこれだけではありません。ヴェルヌの編集者になる以前から、彼はヴィクトル・ユゴーの編集者もしていました。ユゴーの作品と言えば『レ・ミゼラブル』『ノートルダムの鐘』などがあります。フランスだけでなく、世界の文学史を支えた彼は、隠れた偉人です。

作品の内容を知っている方ならわかると思いますが、ヴェルヌもユゴーもアナーキーな思想が詰まった作品が多い様な気がします。エッツェルはそういうのが好きだったのでしょう。結果的に彼とエッツェルは国を追われ、ベルギーに亡命する事となりました。

一方ヴェルヌはアミアン市会議員に当選し、死ぬまで市議勤めました。その間、精神病を患わった甥のガストン・ヴェルヌに足を撃たれ、障害が残る形となりました。最期は糖尿病の悪化と白内障を患い、自宅で亡くなったとされています。

あとがき

THANK YOU

最後までお読み頂き、ありがとう御座いました。ディズニーイマジニアにもかなりの影響を与えた人物で、トゥモローランドやトロンをはじめとする、様々なディズニー映画にも名前が登場します。機会があれば、是非読んでみて下さい。それではまた、次の記事でお会いしましょう!

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